TAXI DRIVER 宇奈月温泉 トロッコ電車待ちの過ごし方(笑)
立山駅から扇沢駅までのTAXI DRIVER
長野側の出発点であり
富山側の終着点となっております
で、
たまにあるのが
富山側の出発点である
立山駅へお客様を送迎し
扇沢駅にお迎えに行きます。
人気No.1 味噌ラーメン
人気No.2 とん太味噌NEO
人気No.3 背脂醤油らーめん
そして、とん太味噌NEO
薬業商の館 金岡邸 富山県富山市新庄町
はい!
お金持ちのお宅訪問です(笑)
2018.12.01 訪問
今回は薬で財を得た 金岡邸です
富山と言えば 越中の薬売り ですね
富山売薬は、富山藩二代目藩主前田正甫(まさとし)が、江戸城で急病になった大名を薬で救い、各大名から薬の販売を頼まれたことがその始まりとされています。
昔の薬屋さんで記念写真も撮れます
リアルな人形がちょっと怖いです・・・(;^_^A
室内はもちろん立派です
昔の お偉いさんが視察にきた様子だったかな?
スペシャルなお客さま専用の入り口もあります
一般人からすれば「なんやねん!」かな?(笑)
金岡家は薬だけではない!
超エリートというかキャリアというか
到底敵いません
1代目 県議会議長・衆議院議員・大久保発電所を完成し、北陸で初めて電灯をともし(現北陸電力株式会社)・北陸初の電鉄の工事(富山軌道株式会社)など・・・
2代目 第一薬品株式会社や富山合同無尽株式会社(現富山第一銀行)を設立
3代目 テイカ製薬株式会社や富山女子短期大学を創立し、富山相互銀行を経営し、富銀奨学財団を設立
5代目 富山計算センター(現インテック)を設立・富山国際大学を設立
6代目 北大教授、日本薬学会頭、日本学術会議第七部長、富山国際学園理事長、富山短期大学学長、富山国際大学長などを歴任し、さらに第一薬品をテイカ製薬へ合併
6代目の弟 富山第一銀行を確立
なんだこの家系は・・・・(;^_^A
4代目が気になるが・・・・・
現代においても薬屋さんって凄いですね!
注意(町の薬局ではない)・・(笑)
駐車場は金岡邸の横にあります。
詳細は
豪農の館 内山邸 富山県富山市
富山市宮尾という地区があり
入り口の門がすでにヤバい(笑)
門をくぐっても ヤバい
庭も もっと ヤバい (笑)
現在、内山さんは住んでおらず
北前船回船問屋 森家 富山県富山市岩瀬
2019.12.31 訪問 vol.5 くらい?
岩瀬の大町通りにある森家(国指定重要文化財)は、日本海で活躍した北前船の廻船問屋。館長の名調子とともに楽しく見学することができます。行きも帰りも荷を載せて「倍倍」に儲かることから、地元では北前船のことをバイ船と呼びます。往復で儲かるので「のこぎり商売」ともいわれ財をなしました。この東岩瀬港では幕末から明治にかけてが最盛期で、この森家も1878年に建築されたものです。屋久杉の板戸、能登産黒松のはり、土間には小豆島産の巨大な1枚岩など、全国各地の材料を使った贅沢なつくりとなっています。主屋であるオイの間の吹抜けの木組み、土蔵のこて絵など見どころ満載です。
米騒動 発祥の地 富山県魚津市本町
魚津町は江戸時代から越中東部の政治・経済の中心地でした。
明治時代の近代化とともに、貧冨の格差増大や都市の人口増による米不足、大商人による米価の吊り上げが起こっていました。大正年間には、15,000人の人口を擁しており、北海道や樺太への米の積み出しで栄えた大町海岸には米倉庫が立ち並んでいました。
大正7年7月23日、北海道への米の輸送船・伊吹丸が魚津町に寄港した時、おりからの米価高騰に苦しんでいた漁師の主婦ら数十人が、米の積み出しを行っていた大町海岸の十二銀行の米倉庫前に集まり、「米の値段が高くなるのは、県外に米を持っていくから魚津に米が無くなるのだ!」と、米の積み出しを止めるように要求し、このため米の搬出は中止されました。この事件が新聞に報じられ、米騒動は近隣の村や町、1道3府32県に及ぶ全国的な米騒動に発展し、その後、内閣を総辞職に追い込む事態に発展しました。
日本の近代史を語る上で、大きな事件である米騒動に関する遺跡は全国的に少ないです。
米騒動が起こった現場に、当時の建物が現存するケースは、旧十二銀行米倉の他にはありません。魚津では、この地を米騒動発祥の地として顕彰しています。
魚津市は、1918年(大正7年)に米騒動が起きた7月23日を”魚津米騒動の日”として熱い思いを後世に伝えるべく動き出しています。