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米騒動 発祥の地 富山県魚津市本町

 

 
 
あまり知られていないスポットです
約100年前に発生した米騒動の現場の建物を
保存し、伝え続けています。
 
発生した大正7年は西暦1918年です。
 
その昔、筆者が中学生の時は
米騒動という米俵に模した麻袋を取り合う
それも女子専用の競技がありました。
今になって
イメージだけで考えた競技ですね
先生方 要反省ですね(笑)
こんな感じでした
 
米騒動の発祥は富山市水橋説もあります
 

 

 
 
個人的には水橋な気がします。
 
まあ、どちらにせよ
 
内閣総辞職まで追い込んだ
大事件が富山から発生!
 
富山の女性は強いイメージは
良し悪し
いまでもあります。
 
歴史を垣間見れる
貴重な建物を保存して頂いていることに
感謝します。
 
魚津の蜃気楼と共に
ぜひ
ご覧ください
 以下 コピペ

魚津町は江戸時代から越中東部の政治・経済の中心地でした。
明治時代の近代化とともに、貧冨の格差増大や都市の人口増による米不足、大商人による米価の吊り上げが起こっていました。大正年間には、15,000人の人口を擁しており、北海道や樺太への米の積み出しで栄えた大町海岸には米倉庫が立ち並んでいました。
大正7年7月23日、北海道への米の輸送船・伊吹丸が魚津町に寄港した時、おりからの米価高騰に苦しんでいた漁師の主婦ら数十人が、米の積み出しを行っていた大町海岸の十二銀行の米倉庫前に集まり、「米の値段が高くなるのは、県外に米を持っていくから魚津に米が無くなるのだ!」と、米の積み出しを止めるように要求し、このため米の搬出は中止されました。この事件が新聞に報じられ、米騒動は近隣の村や町、1道3府32県に及ぶ全国的な米騒動に発展し、その後、内閣を総辞職に追い込む事態に発展しました。

日本の近代史を語る上で、大きな事件である米騒動に関する遺跡は全国的に少ないです。
米騒動が起こった現場に、当時の建物が現存するケースは、旧十二銀行米倉の他にはありません。魚津では、この地を米騒動発祥の地として顕彰しています。
魚津市は、1918年(大正7年)に米騒動が起きた7月23日を”魚津米騒動の日”として熱い思いを後世に伝えるべく動き出しています。